町を挙げての支援
ぼうさい甲子園には4年連続応募してきた。津波ぼうさい賞(2016年度)、奨励賞(2017年度)、ぼうさい大賞・グランプリ(2018年度)と受賞を続け、昨年度はURレジリエンス賞に輝いた。近隣の興津小学校も何度も賞を受けている。町役場に受賞を知らせる懸垂幕が掛かり学校にも横断幕を設置した。町を挙げての応援を感じるという。
休校期間は他県より短かった
新型コロナウイルス感染症で3学期は1教科で9時間、5教科合計で45時間を消化できず、今年度へ持ち越した。臨時休校は3月24日まで続き、春休みに入った。4月には通常通り学校を再開していたが、4月21日から5月6日までは臨時休校となった。5月7日に学校を再開し、7月31日までを授業日として遅れていた授業時数を取り戻した。結局、1学期は1日減っただけだった。
運動会は予定通り行った。参加できたのは保護者と家族だけで、地域の敬老会などには遠慮していただいた。文化祭は10月末に小中合同で行った。
修学旅行は2年生ですでに終わっていたので、コロナ禍の影響はなかった。職場体験学習は例年だと5月に実施しているが、今年はいったん10月に延期して、その後中止となった。
「はるかのひまわり」を満開に
在校生は3年生の3人だけで、今年で中学校は閉校となる。1、2年生はすでに統合先の窪川中学校に通っている。
総合的な学習の時間を中心とした防災活動は、京都大学防災研究所の支援を受けながら進めている。大学院生がサポート役になり、時には授業も担当する。
4月にひまわり計画を始めた。校門周りの道路に面したブロック塀が安全のためにフェンスに変えられ花壇が外からも見えるようになったので、ひまわりを育てようと考えた。「はるかのひまわり」の話を聞いて教員から生徒たちに提案した。
花壇の土づくりは生徒と教職員が協力し、学校が再開すると生徒が種をポットに植え、ある程度育ったところで花壇に植え替えた。7月、はるかのひまわり絆プロジェクトの代表、松島俊哉さんに学校に来ていただいて話を聞かせてもらった。
津波到達時間を示す多言語掲示板
2年前の2018年度、津波到達時間の表示版を地域に取り付けた。津波の高さ表示を見てあきらめてしまう地域住民に、時間表示を見てまだ大丈夫だ、逃げたら間に合うと考えて欲しかったからだ。
表示板を設置した後、生徒たちは次にとりくみたいアイデアを考えた。地域には海外からの技能実習生17人が滞在しており、農業と縫製に携わっている。外国人にもわかる多言語表示板をつくろうと生徒たちは提案した。
2019年度になって、まず地域の自主防災組織とデイサービス施設で趣旨を説明した。生徒が考えた防災だよりを8月から地域の433戸に配布しているが、10月下旬に配布した第7号に多言語表示板の解説を載せた。
津波表示板は英語、ベトナム語、中国語、フィリピン語の4か国語で書かれている。京都大学の留学生が翻訳してくれた。2年前に設置した津波到達時間のボードの隣に生徒たちで取り付けていった。9月から10月にかけて、1回で2時間かけ、3回合計6時間を使って18枚のボードを掲示した。多言語掲示板にはQRコードが付いている。東日本大震災の様子をスマホやタブレットで見るためだ。生徒たちが防災キャラクターを作り、アンパンマンの作者、やなせたかしさんが作った高知県の防災キャラクターも使った。
2年前はラミネートしたボードを使ったが、日差しが強くてすぐに色あせるので、業者に依頼して直射日光に強い掲示板を作ってもらった。
興津の防災ミュージアムを作って学習と交流を促進
四万十町の教育委員会の予算にキャリア教育の項目があり、その中に防災枠がある。この予算支援と京都大学防災研究所の知的・人的支援などで活動ができている。
今年が興津中学校の最後の年度となるが、これまでのとりくみの成果を残したいと考えている。昭和南海地震の聞き取り内容や家庭で行ってきた防災、避難路の清掃や津波到達時間の表示板の設置などの活動と数々の表彰状などを残したい。
そう考えていた時、京都大学からは「興津防災ミュージアム」の提案があった。今、仮展示をしているところだが、将来的にはコンピューターを使ってバーチャル展示も行いたい。興津小学校のこどもたちが作ったマップやすごろくも展示する。小中合同の防災ミュージアムだ。防災の研修や見学などで活用して欲しい。
これまでも、四万十町立十川中学校が春の遠足で興津に来ている。津波の避難訓練にもとりくむ。興津の公民館で危機管理課の話をきく。地元の窪川高校も興津を訪れる。興津防災ミュージアムをそういった学習と交流の場にしていきたい。