コロナ禍だからこそ嬉しい受賞
「私たちは未来の被災者」を合言葉に、防災活動を展開してきた。その中で新型コロナウイルス感染症が広がり、一気に不自由な生活になった。楽しみにしていた学園祭の中止が決まり、生徒たちは目標を失いかけたが、形は違っても周りの人を笑顔にしたいと考えた。お世話になった宿泊施設や行政の皆さんを応援するために、手書きのメッセージを添えたマスクとアルコールジェルを送る企画「SOLプロジェクト」を立ち上げた。同時に豪雨災害の被災地には支援物資で負担をかけないように、募金を集めて送ることにした。休校中にオンラインで話し合い、全校への周知活動は大変だったが、協働して力を発揮できた。学校全体で取り組めたこと、送り先から感謝の言葉をいただいたこと、それを見た生徒がさらに喜んでくれたこと、様々な嬉しいことが起きた。
生徒たちが積み上げてきた活動への評価は最大の喜びだ。
東日本大震災被災地でのボランティア研修を通して
生徒から東北でボランティアをしたいと声が上がり、2012年3月から宮城県での活動が始まった。16回の活動で延べ400人の生徒が参加した。亘理町では地元の中学校と交流を続けている。
震災を経験した方から、東京で災害が起こると大変な状況になること、自分たちの体験を次の災害への備えに活かして欲しいということ、様々なお話を伺った。被災地での学びを自らの地域で活かそうと考えるようになった。
コロナ禍の今はつながりを活かし、追悼イベントへの書道作品の提供や特産物を取り寄せてのチャリティバザーなど、できる形での交流活動を続けている。
社会科から始まり、家庭科、理科、国語・・・様々な教科そして探究活動へと広がっていく
防災教育がスタートしたのは2015年1月。最初は、災害時のトイレ問題にとりくんだ。震災の体験談の中で特に印象に残った話の1つだったからだ。校舎に住民が津波から逃れてきたが校舎内にはトイレットペーパーがなく、代わりに卒業式のペーパーフラワーを使ったといった体験談が蓄積していった。
元々、防災にとりくむ時間は限られていたが、教科内での実践を始めた。最初は社会科から、徐々に様々な教科に広がっていった。教科書に防災の記載がなくても工夫して、教科内の単元と関連させる。例えば、国語の教科書にアメリカの児童労働の記述がある。児童労働の実態を伝える写真が世の中を動かした話だ。生徒はフリー素材の災害の写真を探して、説明を書いて展示した。家庭科では防災調理実習、理科では生徒による防災実験など、生徒が主役となって考える授業を実践している。
教育現場からは、しばしば防災にとりくむ時間がないという声が上がる。しかし、防災の視点で学校を見渡すことで、チャンスはたくさん見つかった。
地域と学校をつなぐ防災活動
私立学校ということもあり、地域とのつながりは希薄だったが、地域との連携なしに災害は乗り越えられないというアドバイスを受け、つながりを模索し始めた。
地域の防災研修会や防災ワークショップに生徒が講師として招かれる機会も出てきた。生徒の柔軟な発想や率直な意見は相手の心に届き、地域の意識を変える力がある。さらに、防災以外でも様々な地域活動に参画するようになった。
学校は、乳幼児と妊産婦と家族を対象とする福祉避難所の協定を結んでいるが、受け入れ人数は限られている。人口が集中する首都圏では、一人ひとりが在宅避難を含めた備えをする重要性が高い。そこで地域の自助意識を高める提案も行っている。
学校に防災部があるわけではない。一人ひとりが防災活動の主役なので、どの活動も広く参加者を募っている。
コロナ禍で中止になった行事が多いが
学校に隣接する都立公園(防災公園)で行われる「防災フェスタ」に参加していたが、今年度は中止になり、代わりに防災啓発動画の作成に協力することになった。中学1年生がストーリーを考え、手描きイラストを使った防災CMを制作した。さらにオンラインで行政職員や防災の専門家などが参加する発表会を行った。生徒は防災を発信する機会を得て、自らの意識も高めていた。
近隣に高齢化の進む団地があり、生徒が開く交流会を楽しみにしてくださる方がいる。時には、一緒にエコノミークラス症候群を防止する体操をしたり、生徒が防災の話をしたりしてきた。今年度は直接交流できなくてもできることを考え、手書きのメッセージカードを作成して回覧していただいた。
防災教育のこれから
一般的にはまだまだ防災への関心は薄いと感じるが、地域の防災上の課題が多いということは、その分生徒の活躍のチャンスがあるととらえている。生徒が学び、考え、成長する実践を重ねる中で、防災教育の魅力も広めていきたい。
防災というと、生徒も教員も災害を連想してネガティブな気持ちになりがちだが、前向きにとりくむことで、抵抗感は無くなっている。中には災害支援や防災の研究を志す生徒もいる。
今年は、これまでを振り返りながら、今できることを模索する1年だった。新たに得たものを従来の活動にどう融合して、発展させていくか、前向きな試行錯誤を続けたい。